
昔、国の税金を納めるために使われたのは米俵で、
それを年貢として幕府(国)に納めていました。
その土地の石高で把握され、その田畑の生産力に対して、割合で税金を決めていました。
ちなみに石高の計算に使われる"1石”は、1人が1年間に食べる量です。
その割合は当時管理していた藩によって額が違いましたが、
概ね6公4民とされています。
つまり、生産したコメの6割が藩に持っていかれてしまうという形ですね…辛い
江戸時代前半では検見法という方法が使われ、
「収穫に応じた割合で年貢を納める」という方法でした。
つまりその年が凶作で80%しかとれなかったら、
80%の40%、つまり32%が取り分となります。
凶作の時には0にならないのでいいですが、
反転豊作の場合、150%の量を収穫できた時は、
60%x150%という事で90%が年貢として払わなければいけないという事になりますね。
この方式は公平そうに見えますが、豊作のときも年貢が増えるので、農民は「努力しても見返りが少ない」と不満を持ちました。
という事で、江戸後半からは別な方法、
定免法が使われる事になります。
こちらは、元々の田畑から取れる収穫量を規定して、
「この田んぼから取れる石高は100石だから、豊作の時でも凶作の時でも60石払ってね」という風に変更されました。
豊作で150石とれても60石しか払わなくてもいいので、豊作の時にはよく、働き甲斐のある生活になりましたが、
もし60石しか取れなかった凶作の年は60石持ってかれて今年の収益は0…という事も。
江戸前半ではそこまで聞かなかった飢饉も江戸後半ではよく聞くようになり、
特に三大飢饉、享保の飢饉(1732年)天明の飢饉(1783年)天保の飢饉(1833年)など、
これらの飢饉が起こった時に定免法の弱点が露呈して、
農民が年貢を納めると自分たちの食料が無くなるという事が発生、
餓死者が多くでました。
もちろん幕府もそのままにしておくだけでなく、一部減免をしたりしていましたが、
元々財政難の幕府、さらに救済も間に合わず大変な死者が出て社会混乱が起きて、それが討幕につながります。
ちなみに、江戸時代では天領(江戸幕府が直接統括していた土地)はだいたい6公4民が通常でしたが、
関西の方などでは5公5民という民に優しい地域もあったり、
逆に土佐藩や薩摩藩などは7公3民という厳しい税で、しばしば一揆が発生したりしていました。
というわけで長々と江戸時代の年貢について調べてみたのでざっくり説明してみましたが、本当に言いたかった事は現代の年貢、そう、税金です。
では今は何パーセントぐらいが税金として取られているかどうかという事です。
ここで、「国民負担率」という指標があります。
国民の所得に対する税金と社会保険料の割合を表したもので、
実質的に所得に対して手取りがいくらくらいになるのかどうかという事ですね。
戦後(1955年)から10年刻みの2025年まで見ていくと、
-
1955年(昭和30年): 約18%
→ 高度経済成長の入り口。税負担もまだ軽い。 -
1985年(昭和60年): 約25%
→ 安定成長期。消費税導入前で大きな変化はまだない。 -
2005年(平成17年): 約37%
→ 年金・医療費の増加。景気低迷の中で税・社会保険の負担感が強まる。 -
2025年(令和7年・見込み): 約47%前後
→ 高齢化により社会保障費が膨張。税と社会保険料の負担はほぼ国民所得の半分に。
という形。
高度経済成長期は意外と割合は少なかったんですね。
それは自身が頑張って稼いだらそのまま手元に入ってくる感覚が得られると思います。
バブルからバブル崩壊後の平成に入ったタイミングでもまだ30%前後、しかし徐々に上がっていくようになっています。
そして今、高齢化により社会保険料が膨張したのが理由で、
50%近い税金を払っている状態なんです。
江戸時代にあった5公5民に近づいていますね。
この調子だと10%上がるのに20年かかっているので、
この調子だと2045年にはまた江戸時代と同じように6公4民の世界が訪れてしまうのかも…
日頃どのくらい税金を払っているかどうか、
特に会社員の方は毎月送られてくる給与明細から額面だけ引かれた状態で入ってくるため、
どのくらい税金を納めているのかどうかわかりづらいと思います。
見直したからって対して変わるものではありませんが、
一度、自分がどのくらいの税金を払っているのかどうか、見直してみるのもいいと思います。